HABANA JAM SESSION レコーディング日誌 - その1 -

今回のキューバ行きは、いつもと違って何だかすごいプレッシャーだ。それもこれも、今回の大きな目的の一つに「レコーディング」という計画があるからだ。

 
 キューバ音楽に完全に魅せられて早数年経つが、キューバを訪れる度に、私は心の中で(この素晴らしさをなんとかして多くの人に伝えてみたい)という思いがあった。大学の論文研究題材にするということも確かに大きな意義はあるのだが、しかし、それだけでなくもっと他の形でありのままのキューバ音楽を伝えたかった。

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 2000年に上映された映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の予想以上のヒットによって、キューバ音楽というカテゴリーが確立され、気軽に多くの人々がキューバ音楽に触れる機会が増えたことは大変喜ばしいことである。しかし、ブエナ・ビスタの音楽は、多様で奥深いキューバ音楽のほんのひとかけらであり、彼らの音楽だけでそのブームが過ぎ去ってしまう現象に、憤りを感じていたのも事実である。
 



 もっと広い視野でキューバ音楽を理解してほしい、と強く思っていた。才能がありながらも、ブエナ・ビスタのブームに乗り切れなかった素晴らしいミュージシャンたち。ブエナ・ビスタでは見えてこない、常に発展・革新していくキューバ音楽。そのような、本物のキューバをアルバムにして、多くの人に聴いてもらいたい。そんな願いが発端となり、友人のカメラマン、高橋慎一さんに相談してみた。「私たちでお金を出し合って、レコーディングが出来ないかなあ。」みんなで少ない貯金を出し合ってなんとかすれば、不可能ではないかもしれない。自分たちでプロデュースしたCDが店頭で販売されるなんてことを考えただけでも、全財産をはたいても惜しくないような気がした。

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  このような考えから、キューバで知り合ったミュージシャンたちを集めてレコーディングを行い、その音源を販売する自主制作レーベル、『カミータ・レコード』を設立した。

 私たちは当初、キューバ音楽界ナンバーワンと謳われる国宝級のピアニスト、フラン・エミリオを中心に、有名、無名を問わず実力派の音楽家たちを集め、キューバ音楽全体を俯瞰するようなジャムセッションを収録するという計画を立てていた。 

 その為の準備として、ミュージシャンサイドと約1年に渡りメールやFAXを利用した交渉をつづけてきた。しかし、そこはラテンの国。キューバ人たちのおおらか(ズボラ?)すぎる気質の為、交渉は遅々として進まなかった。こうなったら直接キューバに乗り込んで、彼らと交渉するしかない、という訳で単身キューバに乗り込むことになったのである。しかし、キューバ行きの準備が整いはじめた頃に、キューバのフラン・エミリオサイドから「これから3ケ月ほど全米ツアーに出るのでしばらくキューバを留守にする」というメールが入ったのである。全くもって、このラテン気質。私達の計画は一旦白紙に戻ってしまった。


 主人公であるフラン・エミリオとの交渉が凍結してしまい、途方にくれていたのだが「フラン・エミリオを録音しようって僕たちが言い出してから、もうどんなに時間が過ぎてしまっていると思います?? このままでは、レコーディングなんて一生できないまま終わってしまいますよ! 僕は一生ただのカメラマンで人生を終わらせるつもりはないんですから! フラン・エミリオのスケジュールを待っていたらまた一年が過ぎてしまいますよ。今回は残念だけれど、他のミュージシャンでレコーディングしましょうよ!!」と、慎一さんに熱く語られ私自身も前向きに代替案を考える気になってきた。

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 では、一体誰のレコーディングをしよう? ということで、最初に思いついたのが、木管フルート「シンコ・ジャベス(5キー)」の第一人者であるホアキン・オリベーロス。彼は私のフルートの師匠でもあり、付き合いは長い。すでに私の父親のような存在である。しかし、彼は最近、自身のリーダー作をスペインのレーベルから出したばかりである。またアルバムを出すにはまだ時期が早すぎる、ということになった。

 結局、ホアキンは参加者ということにして、とりあえず私がキューバに着いたら彼に相談してみては、ということだけを決めただけでキューバに赴くことになってしまった。
 出発前に決まっていたことは以下の通り。
 

 参加ミュージシャン(希望):ホアキン・オリベーロス(フルート)、ブラス・エグエス(ティンバレス)、ドン・パンチョ(チェケレ)、タタ・グィネス(コンガ、ただし、ギャラが法外に高くなかった場合のみ可能)、ギジェルモ・ルバルカバ(ピアノ)。

 曲タイトル:ペルフィディア、ダミセーラ・エンカンタドーラ、トレス・リンダス・クバーナス。

  以上。



 つまり、決まっていないことの方がはるかに多かった。私たった一人に課せられたプレッシャーは、相当なものだった。


 キューバに着いてから、最初に相談した相手は、最終的に音楽ディレクターという役割を担った、ドラマーのダゴベルト・キンターナ。

 (私の計画リストを見て)「僕には、このような年寄りのミュージシャンの知り合いはいないから、協力できないな。ドン・パンチョだったら連絡してみるけど。僕の考えでいくと、このようなメンツがいいんじゃないか。」と言い、参加者リストを書き出した。それは、私たちの計画だった年寄りミュージシャンリストとは全く異なるようなミュージシャンたち。つまり、ロランド・ルナ(ピアノ)、ロベルト・リベロン(ベース)、フリオ・パドロン(トランペット)などといった、20代から30代の、第一線で活躍する若手プレーヤーたちであった。

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 でも、今のブームはやっぱりキューバの年寄りミュージシャンたち。個人的には私も、キューバの若いミュージシャンが演奏するジャズっぽい感じは大好きだけど、ラテン・ジャズのような音楽って、売れるのかどうか心配だった。でもやっぱり年寄りの方が人気あるんじゃ」と言ったら、「だったら僕は知り合いがいないから知らない。ホアキンに相談したら」と、さじを投げられてしまった。

 「とにかく、今日中に曲名リストを作って、その後にホアキンに相談するべきだ」と言われたので、私キューバに着いた早々、ライブに行きたい気持ちを我慢しながら、家にこもって選曲をした。こういうことって、キューバに来る前にやっておくべきだったと後悔しながら




 翌日、ホアキンに会いに行った。

 キューバでは、相手の家を訪ねる前に電話で約束したりする習慣がないため、私は当然のように、直接セントロ・アバナにある彼の家に行った。しかし、ドアを何回ノックしても応答がない。家を留守にするなんてことがほとんどなかったため、どうしたんだ?と不安に思った瞬間、後ろから女性に声を掛けられた。「ホアキン一家だったら、向かいの家に引っ越したわよ。」向かいは、ホアキンの奥さんであるルルデスのお母さんの家だった。今はホアキン一家そろってそこに引っ越したらしい。その家の前に行き、ベルを鳴らすと窓からルルデスが出てきた。「メンティーラ!!!(うそー!!)」と、大げさに騒がれ、一年ぶりにみんなと再会。


 私が相談をするまでもなく、ホアキンの方から聞いてきた。「フラン・エミリオをレコーディングするとかなんとか聞いたけど、いったいどういう話なんだ?」私が今までのいきさつを説明すると、「そうか、僕もいろいろ協力するよ。でも、どういうレパートリーの曲にするつもりだ?トラディショナル?ラテン・ジャズ?僕だったらどっちでも大丈夫だけど、例えば、ブラスやルバルカバはラテン・ジャズはほとんどやらないよ。デスカルガとかだったらやるけどね。君が一人でミュージシャンに頼むと、絶対に高いギャラをふっかけられるから、僕の方から、知り合いのミュージシャンに頼む方法をとるしかないよ。だって、君たちそんなにお金をかけられないだろ?(うーん、ホアキン、よく分かってるよ。確かに私たちは無け無しのお金をはたいてこの計画を立てたのだ。)タタとブラス、ルバルカバだったら僕から聞いてみるよ。まあ、何でも相談に乗るからどんどん僕を頼ってくれ。」

つづく